マリアナ海溝チャレンジャー海淵における新規メタン酸化微生物群集の発見と代謝特性の解析
導入
深海における極限環境、特に地球上で最も深い地点であるマリアナ海溝のチャレンジャー海淵(深度約10,900m)は、高圧、低温、そして光の届かない環境が特徴であり、生命の存在そのものが挑戦的であると考えられてきました。しかし、このユニークな環境は、特異な生物多様性と代謝機能を持つ微生物群集の宝庫であることが近年明らかになりつつあります。本稿では、チャレンジャー海淵の海底堆積物および間隙水から新たに発見されたメタン酸化微生物群集に関する最新の研究成果について報告します。この発見は、深海における炭素循環の理解を深めるだけでなく、地球上の生命がどのように極限環境に適応し、進化してきたかという問いに対する新たな知見を提供するものです。
本論
本研究は、国立海洋科学技術研究開発機構(JAMSTEC)が運用する自律型無人潜水機(AUV)および遠隔操作無人探査機(ROV)を用いた精密なサンプリングによって実現されました。チャレンジャー海淵の特定地点から採取された海底堆積物コアおよび間隙水サンプルは、船上での一次処理後、徹底した高圧・低温条件下で実験室へ輸送されました。
研究手法とデータ解析
採取されたサンプルは、主にメタゲノム解析、メタトランスクリプトーム解析、脂質バイオマーカー分析、および高圧インキュベーションによる活性測定に供されました。メタゲノム解析では、PacBio HiFiシーケンスとNanoporeロングリードシーケンスを組み合わせることで、高圧環境に生息する微生物のゲノム情報を高精度で復元することが可能となりました。特に、既知のメタン代謝関連遺伝子(例:メチル補酵素M還元酵素遺伝子 mcrA
)に焦点を当てた解析が行われました。
主要な発見と科学的意義
解析の結果、チャレンジャー海淵の堆積物中から、既知の嫌気性メタン酸化古細菌(Anaerobic Methane Oxidizing Archaea, ANME)グループに属するが、これまで報告されていない新規系統の古細菌群(Candidatus
Abyssicharchaeum profundum, Ca.
A. profundum)が優占的に検出されました。この新規古細菌群は、硫酸還元細菌(Sulfate-Reducing Bacteria, SRB)との密接な共生関係を形成し、メタンの嫌気性酸化を実行していることがメタトランスクリプトーム解析によって示唆されました。具体的なデータとして、Ca.
A. profundumのゲノムからは、逆メタン生成経路に関与する主要な酵素群の遺伝子が同定され、それらの転写活性が確認されました。図1に示すように、これらの遺伝子の発現レベルは、深層環境でのメタン濃度に正に相関する傾向が観測されました。
また、脂質バイオマーカー分析からは、高圧環境に特有の膜脂質組成を持つことが示唆され、これらの微生物が高圧ストレスに耐えるための生理学的戦略の一端が明らかになりました。例えば、分岐鎖脂肪酸の比率増加や、特定のエーテル結合型脂質の存在が検出されました。
先行研究との比較では、他の深海メタン湧水域(例えば、南海トラフやブレイクリッジ)で報告されているANME群とは異なる系統的特徴を持つことが判明し、チャレンジャー海淵の極限環境が、独自の微生物進化を促している可能性が示されました。表1には、今回発見されたCa.
A. profundumの主要な代謝遺伝子の発現プロファイルと、既知のANMEグループのそれとの比較がまとめられています。この比較は、本研究成果が新規性の高い発見であることを明確に示しています。
結論と展望
本研究によって、マリアナ海溝チャレンジャー海淵という地球上で最も深い場所において、新規のメタン酸化微生物群集が存在し、活発な炭素代謝を行っていることが明確に示されました。この発見は、深海における炭素循環のモデルを再構築する上で重要な意味を持ちます。特に、高圧・低温条件下でのメタン酸化プロセスは、これまで十分に解明されていなかった地球規模の炭素収支に新たな視点を提供するものです。
今後、培養困難なこれらの新規微生物の純粋培養技術の開発は、その詳細な生理学的特性や代謝経路を理解するための鍵となります。さらに、Ca.
A. profundumと共生する硫酸還元細菌との間の分子レベルでの相互作用メカニズムの解明は、深海生態系の複雑性を理解する上で不可欠です。これらの研究成果は、深海生物学、地球微生物学、そして生命の極限環境適応戦略に関する学術分野に多大な貢献を果たすものと期待されます。本研究の詳細は、"Nature Communications" に掲載された論文(DOI: 10.1038/s41467-024-XXXXX-X)にてご覧いただけます。